About the author...
通信社勤務を経て、2004年にマレーシアでビューティー事業会社設立。アジア各国メディアとの人脈と起業経験を生かし、商業施設リサーチ、ビジネスマッチング、販促マーケティングでコンサルティングを行う。美容室 76 STYLE を経営するほか、美眉 & 美まつ毛専門サロン3店舗、飲食業4店舗のアジア出店を支援、実現した。また、日本企業のフランチャイズ展開を香港、マカオ、東南アジアで現地企業との間でまとめた。
建国史上初の政権交代から、100日以上が過ぎました。消費税(GST)を即座に廃止するなど、実行力をインパクトによって示そうとする姿勢が伺えます。本日20日には、マネーロンダリングなど計25件の罪でナジブ前首相が起訴されました。
直近の調査で支持率70%以上という数字が示す通り、どこで誰と話しても、周囲のマレーシア人から現政権に対する批判を聞くことはほぼありません。
ただし、日系企業をはじめ外国人を雇用する法人や団体の多くは、かなり混乱しているようです。
数十億リンギ流出、外国人労働者市場
経済誌の特集記事です。 選挙公約に掲げた雇用のマレーシア人ファーストを実行に移したため、ビザを更新または取得できなかった外国人労働者が続出し、その分消費市場が大規模に冷え込むことを警告しています。
一方、前政権による放漫財政のつけで、国庫は財政難も指摘されており、マハティール首相や経済を担う関係閣僚は外資誘致の重要性を訴えています。
本来、不法就労者を含む外国人単純労働者の数を制限することと、外資企業駐在員のビザ発行手続きは別案件であるはずなのに、政権が代わってからというもの、ビザが厳しくなったと口にする企業関係者は少なくありません。
先週、イミグレーションの出先機関で、首相府省の官僚の方とパネルディスカッションをする機会がありましたので、思い切って聞いてみました。
「新政権は、外資系企業の駐在員ビザ発行に厳しいようなのですが、それは政策と考えた方が良いのでしょうか。企業としては投資政策にも関わってくる重要事項なので、教えてください」
マレーシアにとってパートナーとなり得る外資企業は非常に重要だと考えているし、(駐在員による)所得税収入も欠かせないものだとの回答でした。
政策に近いところにいる方々と、現場レベルで認識に齟齬が生じているのかもしれません。
与党連合が政権奪取時の結束力を維持し、運営力を高めていくことに期待したいところです。
YRCG マレーシアオフィス
石橋正樹
(写真 シェイク・ザイード・グランドモスク)
昼食後にボビーと別れ、力のあるというショッピングモールと競合になり得る店舗をいくつか回った。熱気あふれるアジアのモールと比べると、どれも静かな印象だった。
これで出張の行程をすべて終えたので、世界最大級ともいわれるシェイク・ザイード・グランドモスクに行ってみることにした。しばらくタクシーで走った後、イスラム教の概念では酒で身体を清めることはできないことに気付き、行き先をエミレーツパレスホテルに変更した。
コーヒーを飲みながら、今回の成果をおさらいする。
会社のエンジンである社長は火傷を負わない程度であれば投資に前向き、専務は慎重姿勢。割れたところで、コンサルタントの立場に意見が求められる。貴重な1票になるという以上に難しいところ。
それは組織を交えて対面で話してみて、両社の間に明らかに認識のずれをみることができたからだ。しかし、ここには外国企業との交渉を重ねてきた経験からくる推測の要素が多分に含まれる。
この時点で、推測をもとに1票を投じることはできない。そもそも、“みぞ”自体が今後の交渉によって修復できる類いのものであるかもしれない。
相手企業の規模感が分かり、事業への期待が高いことは確認できた
ただし、三顧の礼で迎えられるという印象ではなさそうだ
有望なブルーオーシャンの市場であり、広がりも見込めそう
肝心な顧客の陰を見ることができなかった
上記 1. 〜 4. の要領でリスクと展望を伝えた結果、帰国後に MOU (契約覚書)の作成に着手することになった。
文 石橋正樹
(写真上 アブダビの夕陽)
ボビーの車で昼食へと向かう。自分の生い立ちについて、いろいろと話してくれた。
カリフォルニアで育ったこと。大学ではデザインを専攻していたこと。アメリカが大嫌いなこと。韓国で大学に通う息子がいること。息子を他の国に留学させたいこと。韓国の女性はお金にしか興味がないこと。両親がグアムでブティックホテルを経営しており、自身もスキューバダイビングのコーディネート会社を経営したら結構うまくいったこと。半年のつもりでUAE に来たのに、もう5年も暮らしていることなど。
話しを聞いている間に車は街を抜け、荒涼とした景色を脇に一本道のだだっ広い高速道路を長々と走り続けた。40分くらい経った頃、ボビーはスピードを落とし、住宅街の中をキョロキョロしながら何度もウインカーを点滅させた。
世界中、どこの都市でも新興住宅地というのはこういうものなのかと感心させられるような、少し広い土地に判で押したような同じ建物が区画に沿って理路整然と建ち並んでいる。ボビーの行く手がなかなか見つからないのも無理はない。
ようやく到着した昼食の場は、どうみても民家にしか見えない。何か違うところがあるとすれば、入り口に何やらハングルが書かれていること。ドアを開けると装飾もテイストも、店員さんが話す言葉もすべて韓国そのものだった。
流暢に韓国語を話すボビーは、冷蔵庫から焼酎の瓶を3本持ってきてテーブルに置いた。アブダビでは、ホテル以外でお酒は飲めない。酒は購入にすら、認可が必要という。この空間では、何もかもが異様だということになる。
それにしても英語を話すボビーはアメリカ人そのものだが、韓国語を発すると違和感なく韓国人だ。人間の感覚なんていい加減なもの。あらためて、国籍や人種など、人となりを表すのには何の役にも立たない。
文 石橋正樹
(Sex and the City の舞台となったエミレーツパレスホテル)
大会議室でのプレゼンテーションは、ある意味、儀式のようなものだった。日本で成功した美容事業のビジネスモデルがいかに素晴らしいか、とうとうと熱っぽく語り続けることに終始した。
その間、ムハンマド家の代表は黙ってこちらを見据えながら、時折「うん。うん」とうなずく。プレゼンが終わり、質問を受ける段になり、財務担当責任者が P&L に対する鋭い問いかけをはじめると、代表は次の来客があることを告げて退出した。
すべてボビーと事前に打ち合わせた通りだったのだが、このときに生じた小さな違和感が後に的中することになる。
アブダビに到着するまで、ボビーは根気強く何度も熱波を送り続けてきた。その熱にほだされる形で、日本側の社長は重い腰を上げた。
大会議場での商談でも、むしろこちらは受け身で、いかにこのビジネスに一緒に取り組みたいかを先方から熱く語りかけられるものと想像していた。ところが、熱を振りまくのはこちら側の役目となる。
それが、王族の面目を保つための儀礼だったのかどうかは今となっては確認のしようもない。ただ、交渉担当役としてのボビーの立場は以前より明確になった。
ボビーは新規事業の開発担当責任者で、「自分が走らないと組織は動かない」とこのあとによくこぼすようになる。
「日本に面白いビジネスモデルがあり、そのリーディングカンパニーが我々のグループに興味を示している」と社内を説得していたとしても、不思議ではなかったかもしれない。
文 石橋正樹
アブダビにはうってかわって人がいない。上海と北京、ホーチミンとハノイ、ムンバイとデリー、政治の中心と商業都市で顔や性格が異なる国は少なくないが、ドバイとアブダビのギャップもなかなかだ。
交渉担当者のボビーはパジェロで迎えに来てくれた。100キロ以上離れたオアシスに住んでいるということで、砂漠を走り抜けるのに四駆は必須アイテムなのだとか。
本社の会議室に向かう道すがら、出店候補地となる自社モールを案内してくれ、30坪にも満たないネイルサロンが月に10万 US ドルの売り上げをコンスタントにマークすること、カルフールの単価が極めて高いことなどをまくしたてるように話してくれた。
UAE の中でも、アブダビは資金力が豊富で、そこに住むエミラティーが可処分所得の多いことは事前の情報収集で理解していた。ボビーの説明と事前調査の内容は一致する。
それにしては、目で見るモールの様子があまりにも閑散としすぎていた。
素直にその感想を伝えると、猛暑のアブダビでは夕方以降に人の出足が良くなることを購買力のデータと共に力説する。その場は感心半分に大いに納得するが、後にこの印象が交渉の大詰めで日本側の判断に影響することになる。
文 石橋正樹
P&Lの内容が良かったこともあり、交渉は極めてスムーズだった。グループ内で運営するモールへの出店を足がかりに、持ち株会社が投資するドバイのモールへの展開、美容整形のメッカであるレバノンへの進出など、商談を重ねるごとに話しも期待も膨らんだ。
そもそも、先方が求めるビジネスモデルだった。
民族衣装によってファッションの表現が制限される中東の女性は、目元の美容に大変こだわるという。肌の露出が禁じられているため目立たないが、毛深い人も多く、脱毛にも非常に高いニーズがあるのだと先方は繰り返した。
日本側は、グループを率いる創業社長と専務が UAE への出張に応じた。東南アジアを皮切りに、海外戦略に積極的に取り組むことは数年前から会社の方針として決まっていたのだが、当初はその青写真に中東の地図はなかった。
ドバイは、スケールの大きなシンガポールという印象だった。片側6車線、両側12車線の高速道路、その奥へ広がる巨大な高層ビル群、ショッピングモールの1階にあるスケルトンの水族館、世界一高いブルジュ・ハリファを光で彩るプロジェクション・マッピング。
増刷後の10年パスポートがスタンプの場所に困るほど、移動型のビジネスライフを送ってきたつもりだったのに、久しぶりのカルチャーショックだった。
ドバイからアブダビへの道のりは、150キロメートル超。移動にはタクシーを使うことにした。
トヨタ・カムリの車内は快適だったが、バングラデシュ人のドライバーがとにかく飛ばす。窓の外に目をやると、制限速度は 140キロとある。合法なのは分かったが、そもそも日本側にとっては急ぐ行程ではまったくなかった。
4月17日の夜、合意直前だった交渉が決裂した。あっけない幕切れだった。最終的に、デッドロックの条項で折り合いがつかなかった。5カ月間続いた交渉は、6行のEメールで終わることになる。
1月7日、正月気分がさめやらぬ中、初めてエミレーツ航空に乗った。行き先はドバイ。美容事業で日本のクライアントと合弁事業を検討しているアブダビの企業を訪問するのが目的だった。快適な機内に、多国籍の客室乗務員が印象的だった。日本、韓国、南アフリカ、イギリス、オーストリア、制服のバッジに見る国旗の数は、これまでに乗った航空機の中で最も多かったと思う。約900万人の人口のうち、自国民が13%程度しかいないアラブ首長国連邦(UAE)らしい。
「国民のほとんどが公務員で教育は無料、所得税もない。だから、エミラティ(Emirati = UAE 国民)は働かないんだ」。アブダビ側の担当責任者であるボビーが言う通り、大きな応接室に通された交渉のテーブルには、アメリカ人のボビー、インド人の財務担当責任者、フィリピン人の秘書、ムハンマド家の取締役、その同族の女性が座った。
実質、民族衣装をまとった取締役は10分ほどで退出したので、具体的な商談は外国籍がメインで行われた。相手方の企業規模は相当なものだった。従業員数4万人超。金融、不動産開発、小売り、教育、医療などの事業を手掛けるコングロマリットで、真偽のほどを確かめた訳ではないが、いわゆる王族企業なのだという。
あらゆる条件交渉で互いに歩み寄り、妥結点を見いだしてきたのだが、最終的には、この王族の部分が決定的な決裂要因となってしまった。
1998年、26歳のときに初めての海外赴任でシンガポールに3年間住みました。18年が経ち、愛娘の長女がシンガポールに進学することになり、当時住んでいた辺りを久々に訪れてみました。
クレメンティという西の郊外エリアです。まだ長女が幼かった頃は周辺にショッピングモールはなく、ちょっとしたお買い物はオーチャードまで出かけていました。今ではMRT で1駅のところに駅直結型のモールがあり、伊勢丹や東急ハンズが入っています。とても驚きました。
娘ではなく、あのときの僕自身が「15年後のシンガポール」と題して何かを書き記していたとしても、「ジュロンに伊勢丹、ハンズができる」とは決して出てこなかったと思います。未来をのぞく術があったとすれば、シーメンスのトランシーバーみたいな携帯を使っていた僕にとって、iPhone を操る現代の姿と同じくらいの衝撃を受けたかもしれません。
飲食も充実していました。王将と桂花ラーメンという夢のようなコラボを楽しめるレストラン、ココイチ、一風堂、塚田農場、鉄板鍋きのしたなど、ツーリストとしての日本人家族には1食しか選べないのは、つらいほど。最終的に王将を選びましたが、思ったほど人は入っていませんでした。思ったほどと言うのは、前夜のほぼ同じ時間帯に、中心部の王将で行列を見ていたからです。
商売的考察。
日本食はローカルフードに比べて割高。郊外に住む地元の人々にとって、選択肢の幅が広がるのは嬉しいが胃袋を満たす頻度は高くない。そうした人々が中心部に行けば、「日本食でも食べてみよう」となる。中心部には人も集まる。ツーリスト需要もある。
同じシンガポール人でも郊外では普段使いにはローカルのお店を選ぶ。ツーリストはほとんど来ない。もちろん、その差が家賃に反映されるのでしょうが、シンガポールはキャピタランド、ファーイースト、アジアモール、メイプルトゥリーとデベロッパーが限られているため、何かと強気。抱き合わせの郊外出店などもあるだろうから、多分大変なのだろうなと。
「それにしても、ウエストゲートはキャピタランドのモールなのに導線が良くなかった。どうしたんだろう・・・」
考察終了。長女のいない KL に着くと、寂しさですべてを現実に引き戻されました。
文 石橋正樹
★関連リンク
http://www.capitalandmallasia.com/ja-jp/corporate/malls/singapore/westgate
2016年は軒並み停滞 アジア経済で期待できるのはベトナム
中小企業庁が支援する海外展開プラットフォーム事業というのがあります。東南アジア諸国を中心に、インドや、中国には香港を含む5つの拠点に専門家を配置。官民協力機関とのネットワークを活用し、日系企業の進出支援を行っています。
2月上旬、ホーチミンでそのプラットフォーム事業のリージョナル会議が行われ、アジア14カ国・地域から約60名の専門家が集まりました。クアラルンプール事務所から派遣される形で参加してきましたが、とても興味深い話を聞くことができました。
中国経済は、西南部の重慶などは2桁成長が続いているようですが、軒並み頭打ち。その他のアジア諸国からもあまり景気の良い話しは聞かれません。
特に各国の専門家が悲鳴を上げていたのは、最低賃金の上昇による人件費の高騰。上昇率は前年比10%以上、インドネシアや中国の一部の地域では同20%以上という数字も出ていました。
国民所得を向上させようという施策なのでしょうが、景気低迷とあいまって企業に対する影響は深刻だそうです。
そんな中、ベトナムはホーチミン、ハノイともに経済状況は非常に良好という報告がありました。ハノイでは冬物の衣料品の伸びが好調、IT のバックオフィス機能が活況、エンジニアの需要増、さらにホーチミンでは不動産も昨年より伸びているそうです。
地理的な優位性や人口の多さなどから TPP 特需を指摘する声もありました。また、ベトナムは EU とも FTA を締結しており、全包囲型で自由貿易圏を構築しようとしています。
今回のリージョナル会議。TPP 締結に向け、域内で日系企業に利益がもたらされるようにするための基盤強化がねらいの1つでした。
会議の内容を総括すると、TPP 以降、優位に働く国とそうではない国が比較的明確に分かれそうです。
文 石橋正樹
マレー系マレーシア人やインドネシア人は総じて、人懐っこくて優しいです。旅行のときに仲良くなったり、友人としては言うことはないのですが、仕事の場面では苦労することもあります。
恐らく、ストレスに対する耐性があまりないというか、意識的にストレスのある環境から遠ざかろうとしているような節さえあるように感じます。
昔、こんな話を聞きました。
野球アニメ「巨人の星」をクリケット版にして、インドで放映したら大ヒットしたそうです。じゃあ、インドネシア、マレーシアのイスラム圏東南アジアも人口は多いではないかと。
ここまで盛り上がったあと、その場にいらっしゃった某イスラム圏大使館勤務のご経験がある方から伺った話。
「イスラムでは試練に耐えて、耐え抜いて、というのは奨励されない。なぜ、苦痛の中に長く身を置くのか、早く環境を変えるべきだという発想になるから。だから巨人の星のスタンスは受け入れられない」
なるほど。真偽のほどを自身で直接確かめたことはありませんが、現代社会は仕事現場が往々にストレスであふれているのは間違いない。
そのストレス、とりわけ怒られるということ耐えることが仮に美徳とは正反対の位置にあるのであれば・・・。問いつめられるとか、ましてや追い込まれることは極端に嫌うはずですね。
それを皆が(もしかしたら)分かっているから、異文化(中国系やインド系)がマイノリティーのマレーシアやインドネシアの組織では、できるだけ突き詰めることをせず、どこかで「今回だけ。特別に」ですませているのかもしれません。
さて、東南アジアの中でマレー系がマイノリティーになる国。それが、シンガポールです。次回は、シンガポールについて書きます。
文 石橋正樹